万像自在記 子ども会を考えるシリーズ4 「子どもも親も色々がおもしろく、創造発展的!」

多様性の中に調和を創造する

多様性個人主義の社会
  アメリカ社会において、多様性は不信と分断をもたらし、個人主義がエゴと自己主張に変貌することも希ではない。
 アメリカ社会では、「自分は他者とは違うんだ」という主張によって、自分という存在を成り立たせようとしている人が多く、日本では「皆と一緒」という集団への帰属意識に依存することによって、自分を支えている人が多いと言われる。
 行きすぎた自己主張が他者の存在を否定し、暴力となったり、集団への安易な帰属が主体性を失った無責任な行動につながることが少なくない。
 人間の根源のルーツを求めれば、すべての人間は同胞である。このことに気づき合い、多様性の中に調和を創造することは平和な社会の鍵ではないだろうか。
自他に関わることと他人事を区別する「エゴと無関心の壁」を乗り越えて、他者への尊敬と感謝を持つこと。そこにまた、自分を尊敬と感謝の心で受けてくれるものが存在することを感受する。一人ではなにもできないが、依存し合って何かをなそうとするのです。人々が崇高な人類的視野にたって築く「自立の連帯」で人類の平和に貢献する日本人を育てたい。
自他共の幸福を祈ることで、平和への自覚が深まり、日々の教育実践と地域との対話を通して共感を呼び、新たな歓喜あふれる教育活動の波動を広げていけるものと思います。
 この教育活動・平和運動・・・が混迷する社会の希望の光となって、全世界を包みゆく根源となるだろうと確信するものです。
アメリカの思想家エマーソンは「君に平和をもたらすものは、君自身以外にはない」と名言を残しました。
  あらゆる差異の壁を乗り越えて、人類の幸福と、平和のために、互いに尊敬しあえる社会。人類があきらめてはならない平和な社会構築の牽引者を育てていきたい。

                            ○○新聞コラムを読んで・・・パソコンにメモしておきました


・・・・・父親観の変遷・・・・・・・・・・・・・・・・「厳父賢母」→「優父厳母」

「厳父賢母」

 高度成長期から・・・
   宮川俊彦さん「心が壊れるこどもたち」(講談社)の中に
  
 「おとうさんの おしごとは おいしゃさま です。
    人をたすけてあげます。 
    いつも 学校に つれていってくれます。
    べんきょうができるとやさしいです。
    わたしは おとうさんが きらいです。」
             
まといつく優しさのもつ重み,豊かさの重み
親の前では いい子 演じる子ども
担任の前で  いい子を 演じなければならない子ども
大人たちに対する子どもたちの目が鋭くなってきている。
 キレル 殺す なぐる ゆるさない・・・そんな激しい言葉で,
もどかしい自分を表している。認めてほしいという願望である。
 ことばが,こどもたちの,こころを,行動を表している。
ことばを,失う。発しない こどもも。

「こどもの親を思う 心の渇きを感じる」・・・・
 
    このごろ お父さんは とうめい人間
    ぜんぜん見えない
    会社で とうめい人間の目ぐすりをさす
    そうすると体がきえてみえなくなる
    だいたい 10時間くらいもつ
    はやく 目ぐすりのききめが  きれてほしい
    お父さんの すがたが見たい  
                         福原武彦 小学6年生
                                   
バブル崩壊後は「優父厳母」
  男女雇用均等法・ジェンダーフリー・菜食男性、イクメン男性・・・

家族の絆(東日本大震災以後の家族観)と父親のポジション
育メンパパはカッコイイ!

万像自在記 『子ども会(子ども会育成会)の「不易と流行」を希求する』

 子ども会(子ども会育成会)の「不易と流行」を再び問いたい。

 私が子ども会(子ども会育成会)と関わって25年ほどになります。子ども会は「妻任せ」でしたが、教員から行政職(社会教育主事)に転属し、突然積極的参加者にかわりました。
 初めて参加した専門指導者研修会では「子どもは未来から派遣された留学生である。母国の将来はこの子らの学習次第である」と大学の先生の話が印象的でした。21世紀になって、社会は急激に大きく変貌するといわれ、15年が過ぎ、豊になった「もの」はなんでしょうか。
 留学生(当時の子どもたち)が活躍する21世紀”何かは”豊かになっているはずでした。元気一杯に遊びに来る子ども達の未来は,平和と健康と安心と思いやりと・・・・夢一杯の未来社会?を築いてきたはずたったのですが。
 現実には,子どもを取り巻くニュースは犯罪(?)の低年齢化,学力体力気力・・の低下・児童の生活習慣病不登校児童生徒の増加・社会不適応,家族の崩壊,格差社会の拡大,ニートフリーター世代,体罰スマホ依存・・・次々へと教育課題が出てきます。
 これからも、決してあきらめることなく、夢を描きつつ、子ども会(子ども会育成会)は「何かの豊かさと何かの貧しさの中」で,確固たる教育と福祉の理念のもと,生涯学習時代における「柔軟性に富んだたくましい児童」「人に優しく、自らも幸せになれる力を持った大人」へ育てる一翼を担う立場にある事を強く理解し,使命感と笑顔を携えて、今後も社会のニーズに応えてくのでしょう。


                     ”夢===幸せ”
                                         小学6年    平 弘美
           お金で買えるモノじゃない
           誰かにおしつけられるモノじゃない
           自分でみつけて 自分で選んで 自分の力で
           かなえることが できるんだ
           守りたい 手ばなしたくない
           そう思えるモノが 本当の夢
          大切だから・・・・自分自身の力で育てたい
           いっぱい お陽ひさまに あててやって 
           時には強い風や雨から 守ってやって
           水や肥料を与えてやって
           ちゃんと育ててあげたら
       ”夢”はきっと いつか花を咲かせることができるはず

万像自在記「子ども会の目指すものとは何だろう」

″子やらい″

          子ども会の目指すものとは何だろう

  日本の伝統的な地域社会には,寄り合い.青年団活動など,それぞれの地域の特性を考慮した社会教育があったことは承知の通りです。冠婚葬祭や相互扶助そして話し合い・・・,また,地域によって「子育て」を「子やらい」と呼ぶ習慣があると聞きました。「子やらい」とは「子どもを前にやり,あとから押してやる」という意味で,子どもの自立性や主体性を大切に,子どもの自立心を養うことに重点がおかれていたようです。
  日本の教育の原点は,生活力(生き抜くための倫理観と知恵と技能)の習得ため,個性を尊重した自立心の養成にあったように思われます。競争心を煽ったり,画一的に一方的に机上の知識を正論のごとく教え,時間に拘束され,年齢に拘束され,何か分からないエリートと目指し,・・・・・ 。
「教育の転換期」それは,親の願い・子供の願いによって教育が保障されること。子育てを家庭が隣近所が子どもの教育を受ける権利を保障し,地域に子育ての義務化すること。
地域の中でこどもたちが生き生きと生活し,生活の知恵を学び合い,自分自身を作っていくことのできる,心の触れ合いのある地域社会をつくり直さなけらばならないことを意味しているのでしょう。
親は,地域は,子どもの地域で教育を受ける権利(環境)を守り,作りそして,後押ししてあげる義務があるのでしょう。
まさに,″子やらい″の地域教育(学習)環境を,今,地域子ども会が大きい声で「子どもの手による子ども会」の唱え,実践し,後継者を育て,社会啓蒙をしなければならない時なのでしょう。
  子どもは子どもであって,子どもらしく生活し,子どもらしく考え,子どもらしく悩み,子どもらしく解決し,子どもとして人間らしく生きているのでしょう。早く大人になることもなく,大人のように上手に・・・ができなくとも,子どもは子どもらしく生活する権利と義務があるのでしょう。子どもの義務とは笑顔を見せてくれることと,心豊かな大人へ成長して行くことでしょう。
 「太陽の入る家に医者いらず」の格言を借りるならば,「笑顔の子どもの居る地域に教育者いらず」とも言えましょう。
「教育」という言葉が「学習」という言葉に変わりつつある今日,子ども会が唱える「支援」という言葉の意味は大きいと言えるでしょう。